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式根島倶楽部

式根島倶楽部

式根島の伝説 1

1月23日・24日は、式根島の怖いお話、海難法師(カイナンホウシ・またはカンナンボウシ)の日です。

 先週、Jさんから聞いたばかりのお話です。

 1月の23日と24日は海難法師と言って、この日は夜、日が落ちたら、島の人間は外に出てはいけません。

    決して出てはいけません。

 昔、トイレが外にあったころは、玄関の中に用をすますための桶が最初から用意してあったほどです。

    騒いでもいけません。

23日は「子黙り」、24日は「親黙り」といって、基本的にそれぞれ話をすることさえ忌む風習があります。


 以前、学校の先生だか警察官の人で、東京から来た人がそんなばかなことはないといって大声で歌を歌って夜中に騒いだところ・・・翌朝、気が変になった状態で発見されたこともあるそうです。


 なんでそんなことがあるのでしょうか。


 1月の23・24日には、海から海難法師様がいらっしゃるのです。

 このお姿を、人間が見てはいけないのです。
 連れて行かれてしまうのです。

海難法師様を避けるには、匂いのきつい植物である、トベラの葉を玄関に挿しておかなくてはなりません。
 さて、この海難法師様という存在(神様?)は一体何者なのでしょうか。

   
  
 江戸時代の頃、大島に極悪非道の代官がいたのだそうです。
この代官、流人にはもちろん、島人達にしたい放題のひどい男だったのだそうでございます。
 その代官が、この度新島に赴任するときいて、大島の人々は大喜びをいたしました。

 ところが、その一方で、新島の人々がどんな目に遭うのか、大島の人たちは心を痛めたのでありました。

  そこで。

 意気揚々と船に乗って新島に向かってこぎ出した悪代官の船に穴を開け、なんと大島の漁師達は代官を海の真ん中で溺死させてしまったのでした。漁師は泳げるからうまく逃げたのですな。

 ですから、大島では23日はお祭りをするのだそうです(この話だけはまだ未確認ですが)。


 しかし、代官の執念や恐ろしく、なんと新島・神津島に死体が打ち上げられたのです。新島にはいまだに手を拾った家と、足を拾い上げた家が残っていて、代官を鎮めるお祭りを毎年行っているそうです。もちろんこの家々では1月23日・24日は一言も口を利くことがないそうです。
 少し前までは、そこの家の子は、その日は学校も休んだそうです。

 特に頭が打ち上がっ神津島の人々が代官を恐れることはなはだしく(新島や式根の比ではないらしい)、つい最近まで、神津島では日が落ちるとまったく人は外に出なかったそうです。(式根島では現在12時以降は家の外に出てはいけない、ということになっているらしいです)

 23・24日には、海から海難法師が上がってきて、外に出ている人間を連れていってしまうのです。

 中学生くらいの子どもからは、数年前のこと、夜出て行った犬がそのまま帰ってこなかったことがあったという話を聞きました。


 「そんな、作り話だよ」、とお思いになるかもしれませんが。

もちろん現在ではわりと、そのような話も随分緩やかになっていて、日が落ちた後も人の姿があることはあるのですが。


 いまだに(言われてみると確かに今年も)、
 1月の23日と24日は、

 それまで海がどんなに荒れていても、 
 
 かならず、

   海が、

   凪ぎになるんだそうです・・・

 


                 








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Jさんに昨晩お会いする機会があったので、またカンナンボウ様の話になると、
「あれはね、多分、二十日正月みたいなもんなんだよ」
との事でした。

もともと小正月ってのがありますが、こちらでは二十日正月といって、20日に鏡餅を割って食していたそうです。
で、23日あたりには、閑かな(しゃべってはいけないのだから)正月をする、という流れだったのではないか。と、こういう説でした。

 なかなか。




                        



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